昭和45年10月29日 夜の御理解



  あれあのあすけ4,5人お話をさして頂いて居ったんですけれど、秋永先生とあの綾部さんとの話がまあ、一生懸命弾んで居りましたが、話を聞きながら、ほんとにこの願うと云うことの信心の、いわば容易い様で難しいことの、私二人の話を聞きながら思わせて貰ったんですけれどね。あの綾部さんところのあの双子の方の一人の静子さんという方が足をちんば引かれますね、足が悪い。
 それから秋永先生ところもあのご承知のように京子さんがあの足が悪いと、それをその自分は娘の事を願わないと、願う気が起こらないと、まあ何時かはおかげ頂くだろうと、まあ綾部さんは言われる。秋永先生はそれがまあかえっておかげになるだろうと、家の京子の場合なんかはそれではのうてもあんな状態だから、あれが足でも悪く無かったらもうどんな事になるか分からないと、云う風に思うとると云う話を聞きながらね。
 けれどもほんとあの願う、あの願うと云うことがやはり難しいことが分かりますですね。願うと云うことは、あのなる程信心さえ出来ればおかげを頂くと云う、そのこれは合楽の過去の信心を綾部さんはいうて居られる訳であるし、秋永先生はその、その事がかえっておかげだというふうな頂方をしている訳なんですね。 ですけどもこれはね、けれどもそれを聞き終わってから話したんですけれど、今のね、合楽の信心はそれが切実に願われれるところまで、やはり信心を進めて行かなければいけないんだと。
 だからその願われないところに、これも一事が万事の事が、そういう事になって来る。願わせて頂かなければ居られない。まあ親として子供がちんばを引いて居る姿を見て、願わないと云った様なことが、あってよかろう筈が無いのだけれども、そこに信心が段々進んで参りますと、確かにそういう様な所にもあります。その点やはり、願いの信心が難しいなと云うこと。
 そん時に私、このほんとに私どもが天地の親神様に願わにゃ馬鹿らしかと云う訳じゃないですけれども、願わなければ居られない切実さと云うものが、信心に出てこないと信心がやはりほんとの生き生きしたものが生まれて来ないのじゃないかと私思うのです。あのうテレビでよくやっていましょう、あの屋台ラーメンの宣伝をやっていますよね。のう「お月様は何を喰ってるかな」と子供が言うところの云うのがありましょう。「ああお月様はきっと屋台ラーメンだよ」とお父さんが言うところがあります。
 その場面を頂くんですよね。ですから私どもがほんとに私どもと神様と云うものはね、その丁度その親子が言って居る「お月様何を喰ってるかな」と「きっと屋台ラーメンだよ」とそのお父さんが言って居る、子供はほんとに何を喰ってるのだろうかと、はぁやっぱ屋台ラーメンかなと思う様なね、純真さと云うものが段々出来て来ると、信心の純粋さを欠くとそういう事になる。純粋さが出て来ると、そこに願わなければ居られない。それは人間とお月様程に実は違うのだと。
 云うならば、神様と私どもと云うのは、もう大変な違いなのですから、ほんとは私どもが純粋な心で願うと云うことがね、願うと云うことが、どんなに神様が云うならば、待ち望んで御座ることかと云うことを最近は合楽で言っておる訳ですけれども、なかなかそれがやっぱ難しい。それが何か知らん、段々高度な信心さして頂いて、秋永先生が言うところも大変高度、綾部さんが言われるところも大変高度。
 けれども、もう一つ高度なと云う信心は、やはり純粋に素直に縋れれるとか願えれる信心だと思うですね。私ども、そういう信心をこれからまだ合楽の信心は、身につけていかなければならない。いわゆる過去の信心、いわゆる何と申しますか、ええ秋永先生の場合でも綾部さんの場合でも、過去信心の稽古をさせて頂いての信心が基礎になっておると云うことだけであってね、
 まあだその基礎をまあだ造っておると云う感じがしますね。だから、最近言われるそういう信心を一つ基調として、私どもがどれだけの信心が出来たからと言うて、ほんとに完璧な基礎などが出来れるもんじゃない。そこで願わなければ居られないと云う。今まで稽古して来た信心をひとつの基調として願って行けれると云う信心をね、頂かなければいけない。も少し純粋に願わせて貰える信心、やはりそれでも願う信心。やっぱ今までの信心から一段飛躍すると云うことは。
 、何でも難しい事だなと秋永先生をしてそうであり、ね、まあ云うならば、綾部さんの様にもうほんとに人が十年かかるところを一年間で分かって行きよんなさる信心の話を聞いておっても、その様ですから、難しい事だなと思います。ほんとにあの願う信心がね、どんなに素晴らしいことかと云うことを、ま少しお互いが日日の中に体験して行かなければいけないと思うね。願うところから生まれて来る安心、願うところから受けていくところのおかげ、そういうものがね、こう相まって行かなければいけんと思うですね。
   どうぞ。